紙本淡彩山水図 (彭城百川)
| 作者 | 彭城百川 |
|---|---|
| 製作年 | 1747年? |
| カタログ | A-11142 (東京国立博物館) |
| 種類 | 屏風・紙本墨画淡彩 |
| 寸法 | 160.0 cm × 358.1 cm (63.0 in × 141.0 in) |
| 所蔵 | 東京国立博物館、東京都(日本) |
| 登録 | 重要文化財(1940年指定[1]) |
「紙本淡彩山水図」(しほん たんさい さんすいず)、または「山水図屏風」(さんすい ずびょうぶ)[2]、「春秋江山図屏風」[3][4](しゅんじゅう こうざん ずびょうぶ)は、彭城百川が描いた南画・風景画であり、彼の代表作である。延亨四年(1747年)の年記がある。紙本墨画淡彩[2][5]。高さは各160.0センチメートル、幅は各358.1センチメートル[2][5]。重要文化財。東京国立博物館蔵。
作品
[編集]六曲一双の屏風に南宗画の様式によって描かれている[3]。百川の画風には明王朝末期の蘇州派からの影響が大きい[6]。左隻には「丁卯仲春擬唐伯虎筆意[注釈 1]八僊[注釈 2]逸人造」と記され、「雘図非為栄風流聊代耕」と印がある。また、右隻には「倣盛茂燁筆意彭蓬洲写[注釈 3]」印「字日百川」「彭真淵印」とある[7]。すなわち百川は、本作の製作にあたり中国画家の唐寅(唐伯虎)と盛茂燁に倣ったとする態度を示している[2][8]。実際、本作に登場するモチーフや用いられている筆法は、盛茂燁の「蘭亭雅会図巻」や「天池石壁図」を参考にしたものである[6][9]。
画中の光景は、知識人である士大夫が集い、遊ぶのにふさわしい理想郷として表現されている[5]。細かい筆線と点描の集積で場面が構成される[2]。左隻(左側の屏風)の画面左上には、塀に囲まれ松林越しに配置された楼閣が描かれている。そして、そのすぐ下から渓流が始まり、末には滝に姿を変え、大河へと流れ込む。楼閣の右上には、岩の頂に長松が六本目立つように描かれている。また、その右手の崖のふちには一軒の亭が、そして懸崖[注釈 4]の途中から数本横向きに樹木が生え、その崖の下に旗亭[注釈 5]が配置されている。武田光一はこれらの構成について、『太平山水図』と多くの点で共通していることを指摘している[10]。
左隻が赤く色づいた木々を描いていることから秋の風景であることが推察され、よって右隻は春の景色を表現したものと考えられる。また帆のある舟が描かれていることから、それぞれ幅の広い大河が表されていることが分かる[2]。
製作背景
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彭城百川は製作にあたり『八種画譜』[注釈 6]によく学んでいた。その影響は、本作品をふくめ、彼の晩年の作品においてよく見られる[12]。
百川は当初、俳諧師として世に出た。しかし、享保十一年(1727年)、百川30歳の年、彼の編集による『本朝八僊集』に各務支孝が寄せた序によれば、詩のみならず文や絵画においても既に一定の評価を受けていたようである。50歳頃には絵の製作によって生計を立てるようになり、延享三年(1747年)には「前後赤壁図」屏風、その翌延享四年には本作品、「春秋江山図」を完成させている。さらにその数年後、宝暦元年(1751年)には談山神社の社屋、慈門院の襖絵、「旧慈門院壁画」を手掛けていたほか、『元明画人考』を出版するなど、絵画制作に対し旺盛に力を注いでいた[13]。
また、「紙本淡彩山水図」に先立って、百川は彼の代表的な作品の一つであり、本作品と画風の共通するところの多い「李白観瀑図」を制作している。武田光一によれば、この作品は蕭雲従の『太平山水図』、また本図を剽窃した『芥子園画伝』の初集巻三第七十七図「懸崖掛泉法」と第八十四図「画江海波濤法」に基づいている[14]。
来歴
[編集]学術的美術誌『美術研究』1937年に掲載された目録によれば、本作品は大阪の佐々木昌興によって旧蔵されていた作品である。1940年に国の重要文化財に指定された[1]。
ギャラリー
[編集]- 唐寅 看瀑図 メトロポリタン美術館蔵
- 唐寅 「幽人燕坐图轴」 故宮博物院蔵
- 盛茂曄「唐詩意山水圖」冊 メトロポリタン美術館蔵
- 盛茂曄「唐詩意山水圖」冊 メトロポリタン美術館蔵
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 丁卯(1747年)仲春、唐伯虎の筆意を擬す。
- ↑ 原文では人偏に西、八に山。
- ↑ 盛茂燁の筆意に倣う。
- ↑ 切り立った崖のこと。
- ↑ 酒場、または旅館。
- ↑ はっしゅがふ。「唐詩五首」「唐詩六言」「唐詩七言」「梅竹蘭菊」「古今画譜」「草木花詩」「木本花鳥」「名公扇譜」の八種類の画譜を集めたことからこの名がついた。天啓元年(1621年)ごろ纏められたか。日本では寛文12年(1672年)、その後宝永7年(1710年)にふたたび翻刻された[11]。人見によれば、同書の影響は彭城のほかに、池大雅、与謝蕪村、皆川淇園などに及んでいるが、彭城以前には受容されていなかったのではないかとしている[12]。
出典
[編集]- 1 2 「紙本淡彩山水図〈彭城百川筆/延亨四年の年記がある/六曲屏風〉」『国指定文化財等データベース』文化庁。2025年8月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 山下 善也. “山水図屏風”. 東京国立博物館. 2025年8月20日閲覧。
- 1 2 武田 1990, p. 22.
- ↑ 佐々木&佐々木 1998, pp. 118, 120–121.
- 1 2 3 “山水図屏風”. e国宝. 国立文化財機構. 2025年8月17日閲覧。
- 1 2 国立文化財機構, p. ¶1.
- ↑ 名古屋市博物館 1984, p. 102.
- ↑ 武田 1990, p. 36.
- ↑ 武田 1990, p. 33.
- ↑ 武田 1990, p. 34.
- ↑ 佐々木&佐々木 1998, p. 229.
- 1 2 人見 1939, p. 41.
- ↑ 佐々木&佐々木 (1998), p. 118.
- ↑ 武田 1990, p. 32.
参考文献
[編集]- 佐々木丞平、佐々木正子『文人画の鑑賞基礎知識』至文社、1998年12月1日。ISBN 978-4784301621。
- 武田 光一『日本の南画』(初)東信堂、2000年7月20日。ISBN 4-88713-347-2。
- 武田 光一 (1990-04-01). “彭城百川の山水画について ─中国画譜との関係を中心に─”. MUSEUM (東京国立博物館) (469): 22-38. ISSN 0027-4003.
- 人見 少華 (1939-04-01). “彭百川當時の南畫壇”. 南畫研究 (南畫鑑賞會) 8 (4): 40-48. doi:10.11501/1889962.
- “山水図屏風”. e国宝. 国立文化財機構. 2025年8月17日閲覧。
- 『特別展 知られざる南画家 百川ひゃくせん』名古屋市博物館、1984年3月10日、85-91, 102頁。