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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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ヒロシマの座標軸

「戦後」であり続けるために 被爆地から問い直す「周年」

80年前の広島市中心部。焼け野原に建物が建ち始めている。左奥に原爆ドームが見える=1946年7月撮影
80年前の広島市中心部。焼け野原に建物が建ち始めている。左奥に原爆ドームが見える=1946年7月撮影

 「戦後といえる日を続けたいですね」

 出版社に勤める編集者から、年末のあいさつとして届いたメールの文面に目が留まった。

 2025年は「戦後80年」「被爆80年」を冠したイベントや書籍がたくさんあった。「周年」は問い直しのきっかけになる。「81年」の今年は、ヒロシマにとって何の周年だろうか。

 被爆から1年後の80年前、広島は再建と復興の緒に就いたばかりだった。1946年11月3日、日本国憲法が公布された(施行は47年5月3日)。3原則の一つである「平和主義」は今、内実を伴っているか。

 70年前の56年8月10日、長崎市で日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成大会を開いた。結成宣言には「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」とある。24年にはノーベル平和賞が授与されたが、結成当初から求める国家補償による救済と核兵器廃絶は実現していない。

 広島市議会が原爆ドームの永久保存を決議したのは、60年前の66年7月11日。市民の間にも解体を求める声は強かったが、惨禍の記憶が風化していくことへの危機感が高まり、市の方針を転換させた。30年後に人類の負の遺産として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界遺産」に登録され、核廃絶の象徴となった。

 日本政府が核軍縮の取り組みで最重視している核拡散防止条約(NPT)に批准したのは、半世紀前の76年6月8日。核兵器国(米国、ロシア、イギリス、フランス、中国)のみ核保有を認め、それ以外の国は平和的利用に限られる国際的な枠組みで、日本は核兵器を保有しない足かせを自らはめた。それなのに政治家や官邸関係者からも核兵器保有を巡る発言がやまない。…

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