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与田順欣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
与田 順欣
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1943-10-03) 1943年10月3日(82歳)
身長
体重
180 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1962年
初出場 1962年5月26日
最終出場 1970年4月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

与田 順欣(よだ よしのぶ、1943年10月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手投手)。

1970年の「黒い霧事件」にて敗退行為に関与したとして、池永正明らと共に永久追放処分とされた。

来歴・人物

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八代商業高校では1961年の春季九州大会県予選決勝に進むが熊本県立済々黌高等学校に惜敗する。同年夏も全国高等学校野球選手権熊本大会で敗れて甲子園出場は叶わなかったが本格派右腕として注目され、熊本県選抜チームの一員として佐藤元彦松岡功祐末次民夫らとともに沖縄へ遠征した経験を持つ。

1962年西鉄ライオンズへ入団し、同年5月には初先発に起用されるが、その後は足を骨折した影響で結果を出せず、2年間は一軍と二軍を往復していた[1]

1963年の日本シリーズ(対読売ジャイアンツ戦)では3試合にリリーフで登板した。1964年には先発陣の一角に入り、井上善夫と並ぶチーム最多の60試合に登板するも7勝18敗と大きく負け越した[1]。その後も先発、中継ぎと幅広く起用され、1967年には自己最多となる13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。

1970年黒い霧事件に関わったとして永久追放[1]され、球界を去った後はタクシー運転手に転身した。

選手としての特徴

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180cmの長身から投げ下ろす直球に威力があり、また、スライダー、カーブ、シュートなど多彩な変化球も武器としていた[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1962 西鉄 14400001----.00014332.13421000200022143.821.36
1963 19900005----.00024458.05471903341125233.571.26
1964 6025711718----.280934222.2211187934910296793.191.30
1965 321021032----.60037794.27983100532135312.941.16
1966 362021074----.636518128.112062812750140352.461.15
1967 48295301311----.542860210.11931344181162078572.441.13
1968 5013100913----.409630148.11401148591091171623.771.27
1969 4514101711----.389614149.0134134057850073633.811.17
1970 3100001----.000347.071410610779.001.57
通算:9年 30712518624666----.41143541050.2972793031633589764473713.181.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

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  • 37 (1962年)
  • 23 (1963年 - 1969年)
  • 17 (1970年)

脚注

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  1. 1 2 3 4 ライオンズ60年史、47ページ(2010年、ベースボール・マガジン社)

関連項目

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外部リンク

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